前回のつづきです。森林セラピー体験会が終了後、新潟県関川村へ。小国町から新潟県へ行くルートを初めて通りました桂の関温泉 ゆーむ (新潟県岩船郡関川村下関1307-11)〈道の駅関川〉内にある日帰り温泉です。広い浴場で、ゆっくりと温泉に入ることができました...
のんびり日記☆宮城
宮城県名取市在住。美味しいもの・自然・旅行が好きです♡日々の出来事を綴ります。
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9月も山形県小国町へ。森林セラピー基地「ブナの森 温身平」に行きました。「町民向け森林セラピー体験会」にスタッフとして参加しながら、勉強させていただきましたブナの森 温身平 (山形県西置賜郡小国町小玉川)クマの爪痕が残る木です森での体験を皆さんと一緒に楽しみましたどうもありがとうございました!...
前回のつづきです。6ヵ所目は「切捨場霊場・海無沢三経塚」へ。綱木親和会館と東和綱木農村公園の駐車場に車を停めました。三経塚 (宮城県登米市東和町米川字西綱木)切捨場霊場まで少し歩きました。切捨場霊場 [きりすてばれいじょう]キリシタン120名が、磔[はりつけ]・打首等で処刑されたと伝わっている場所だそうです。手を合わせました。海無沢三経塚 [かいなしさわさんきょうづか]処刑されたキリシタンのご遺体は、3ヵ所に各4...
前回のつづきです。
6ヵ所目は「切捨場霊場・海無沢三経塚」へ。
綱木親和会館と東和綱木農村公園の駐車場に車を停めました。
三経塚
(宮城県登米市東和町米川字西綱木)




切捨場霊場まで少し歩きました。

切捨場霊場 [きりすてばれいじょう]

キリシタン120名が、磔[はりつけ]・打首等で処刑されたと伝わっている場所だそうです。

手を合わせました。


海無沢三経塚 [かいなしさわさんきょうづか]

処刑されたキリシタンのご遺体は、3ヵ所に各40名ずつ、お経と共に埋められたそうです。
当時の原形のまま残っているのは、この海無沢三経塚のみだそうです。



こちらでも、手を合わせました。
切捨場霊場と海無沢三経塚のどちらも、たくさんの想いを感じ取りました。
興味本位では訪れない方がよいと思います。
6ヵ所目は「切捨場霊場・海無沢三経塚」へ。
綱木親和会館と東和綱木農村公園の駐車場に車を停めました。
三経塚
(宮城県登米市東和町米川字西綱木)




切捨場霊場まで少し歩きました。

切捨場霊場 [きりすてばれいじょう]

キリシタン120名が、磔[はりつけ]・打首等で処刑されたと伝わっている場所だそうです。

手を合わせました。


海無沢三経塚 [かいなしさわさんきょうづか]

処刑されたキリシタンのご遺体は、3ヵ所に各40名ずつ、お経と共に埋められたそうです。
当時の原形のまま残っているのは、この海無沢三経塚のみだそうです。



こちらでも、手を合わせました。
切捨場霊場と海無沢三経塚のどちらも、たくさんの想いを感じ取りました。
興味本位では訪れない方がよいと思います。
横町さんへ☆ * by クオ
こんばんは。
コメントどうもありがとうございます
殉教地を訪れて、残酷な仕打ちをひしひしと感じることができました。
「瞑想の丘」の案内板を読み、私も様々なことを考えさせられました。
佐沼城の存在は知らなかったのですが、史跡を訪れる際は私も心がけています。
コメントどうもありがとうございます

殉教地を訪れて、残酷な仕打ちをひしひしと感じることができました。
「瞑想の丘」の案内板を読み、私も様々なことを考えさせられました。
佐沼城の存在は知らなかったのですが、史跡を訪れる際は私も心がけています。
前回のつづきです。5ヵ所目は「後藤寿庵の碑」へ。後藤寿庵は伊達政宗の家臣で、岩手県の水沢に領地があったそうです。禁教令後に弾圧から逃れるため、姿を消したそうです。登米市に「後藤寿庵の碑」があるとわかり、行ってきました。この地に、後藤寿庵は隠れ住んでいたようです。碑は、主要道路沿いではなく、わかりづらい場所にあります。おそらく私有地なのでは…と思われる場所だったので、手を合わせたあとに撮影させていただ...
前回のつづきです。4ヵ所目は教会へ。ここからは、キリシタン関連地を巡ります。江戸時代、幕府によりキリスト教が禁止されていました。仙台藩主伊達政宗は当初、キリスト教に寛容だったため、多くのキリシタンがこの地に逃れてきたそうです。弾圧が厳しくなる中、潜伏[隠れ]キリシタンとして信仰を続けました。仙台藩でも禁教令が発布され、多くのキリシタンが殉教[自らの信仰のために命を捨てること]されました。カトリック米川...
前回のつづきです。
4ヵ所目は教会へ。
ここからは、キリシタン関連地を巡ります。
江戸時代、幕府によりキリスト教が禁止されていました。
仙台藩主伊達政宗は当初、キリスト教に寛容だったため、多くのキリシタンがこの地に逃れてきたそうです。
弾圧が厳しくなる中、潜伏[隠れ]キリシタンとして信仰を続けました。
仙台藩でも禁教令が発布され、多くのキリシタンが殉教[自らの信仰のために命を捨てること]されました。
カトリック米川教会
(宮城県登米市東和町米川町裏41-2)


昭和になり、キリシタン殉教地であることが広く知られるようになりました。
その後、こちらの教会が献堂されたそうです。
教会内には、キリシタンの遺物が展示・公開されているようです。
教会の中に入るには、関係者に鍵を開けていただくことになります。
今回は、建物の外観だけ撮影しました。
4ヵ所目は教会へ。
ここからは、キリシタン関連地を巡ります。
江戸時代、幕府によりキリスト教が禁止されていました。
仙台藩主伊達政宗は当初、キリスト教に寛容だったため、多くのキリシタンがこの地に逃れてきたそうです。
弾圧が厳しくなる中、潜伏[隠れ]キリシタンとして信仰を続けました。
仙台藩でも禁教令が発布され、多くのキリシタンが殉教[自らの信仰のために命を捨てること]されました。
カトリック米川教会
(宮城県登米市東和町米川町裏41-2)


昭和になり、キリシタン殉教地であることが広く知られるようになりました。
その後、こちらの教会が献堂されたそうです。
教会内には、キリシタンの遺物が展示・公開されているようです。
教会の中に入るには、関係者に鍵を開けていただくことになります。
今回は、建物の外観だけ撮影しました。
FC2ブログ更新お疲れ様です。 * by 横町
おはようございます。カトリック米川教会訪問お疲れさまでした。宮城県内陸北部~岩手県内陸部南部(藤沢町など)にはカトリックの殉教の跡や、製鉄の跡が見てとれます。往時の製鉄の技術はスペインが先進国だったので、政宗公としてはここに魅力を感じたのでしょうね。
この地区のキリスト教布教(宣教師の招き入れ)には政宗公の思惑(秀吉の思惑に抗いリスクを冒してでも力を蓄える)が関わっているようです。それはさておき、往時のキリシタン(隠れ)の信仰の深さを垣間見る気がします。
このあたりの事情は2007年12月放送の「その時歴史が動いた」伊達政宗 天下に旗をあげよ ヨーロッパにかけた夢で詳しく紹介されていました。
私事で恐縮ですが、10年前に拙歴史作品『金色の九曜紋とともに』にも書かせて頂きました。
プロローグhttps://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1350.html
第一話https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1349.html
以下第二話~第九話にて掲載済み
※閲覧はあくまでもクオさんのご随意です。
◎まとめ◎
このようないきさつもあり、本記事を興味深く拝見させて頂きました。本日も己の見聞を広めることができました。ありがとうございます。
この地区のキリスト教布教(宣教師の招き入れ)には政宗公の思惑(秀吉の思惑に抗いリスクを冒してでも力を蓄える)が関わっているようです。それはさておき、往時のキリシタン(隠れ)の信仰の深さを垣間見る気がします。
このあたりの事情は2007年12月放送の「その時歴史が動いた」伊達政宗 天下に旗をあげよ ヨーロッパにかけた夢で詳しく紹介されていました。
私事で恐縮ですが、10年前に拙歴史作品『金色の九曜紋とともに』にも書かせて頂きました。
プロローグhttps://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1350.html
第一話https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1349.html
以下第二話~第九話にて掲載済み
※閲覧はあくまでもクオさんのご随意です。
◎まとめ◎
このようないきさつもあり、本記事を興味深く拝見させて頂きました。本日も己の見聞を広めることができました。ありがとうございます。
横町さん☆ * by クオ
こんにちは。
コメントありがとうございます!
信仰の深さには驚かされるばかりです。
この教会を訪れた後、殉教地に行き、さらにその想いを感じてきました。
次の機会に、一関市にも行く予定です。
横町さんの歴史小説、後日拝読させていただきますね。
いつもありがとうございます
コメントありがとうございます!
信仰の深さには驚かされるばかりです。
この教会を訪れた後、殉教地に行き、さらにその想いを感じてきました。
次の機会に、一関市にも行く予定です。
横町さんの歴史小説、後日拝読させていただきますね。
いつもありがとうございます

こういう史跡に訪れた際の心構えとして、自分も興味本位では行かないように心がけています。例えば佐沼城(伊達に囲まれた葛西、大崎の残党が立てこもって玉砕した地)を取材した際はクオさんと同じような境遇で臨みました。写真を撮る前に黙とうを捧げました。
「瞑想の丘」とは、よく名付けたものと受け止めています。千葉ケイさんの句には涙を誘われました;
◎まとめ◎
お陰様で本日も示唆にあふれた記事に触れさせていただきました。ありがとうございます。